2016年6月1日水曜日

真田丸原作には「小保方」さんが出てくる?! 謎の「小保方」氏族を探せ!

 こんにちは。


 もう一つのブログのほうで、NHK大河ドラマの原作にあたる『加沢記』を読んでいたら、


(☆「歴史まにあ」http://jpn-history.blogspot.jp/ 


なんと、とっても珍しい名字のお侍さんに遭遇したので、調べ物好きなeineとしては、探求心がメラメラと燃えてきてしまいました。


 さあ、どんな人の名前が出てきたのか?というと。






「小保方さん!!!!」





まあ、びっくりですね(^o^




 小保方さんといえば、STAP細胞があるのかないのかで一世を風靡したあのリケジョの方が有名ですが、名字の世界では、なんと2000人くらいしかいないという



 希少な名字のおかた



に属します。




 小保方晴子さんがメディアに登場した頃の東スポさんの記事でも


激レア級?の「小保方姓」

http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/14114/


というタイトルが付くくらい、基本的には珍しい姓なのだとか。



 さて、この「小保方」姓。辞典類では、群馬県にルーツがあるとされています。



 小保方・小保形などの表記はありますが、もともとは群馬県伊勢崎市東小保方町・西小保方町が語源で、戦国時代には、「小浦(甫)方」の表記もあったとか。






 では、その群馬の小保方一族が、どうして真田丸に関係があるのか?!この謎を徹底解明しようと思いまする!





 その戦国武将、小保方さんは、加沢記ではこんな風に登場します。

 (出典 国立国会図書館デジタルコレクション 「加沢記」第61段)
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020961




 その名も



 小保方半左衛門!!!



 うーん。何者なのか、気になりますね!



 私は、この後の「秀吉が仲裁に入って、北条と真田の領地の境を決める話」を読んでいて、小保方さんを見つけた(笑)のですが、↑ちょうどそれがココ。



 小保方半左衛門が何者なのかは、もう少し前に丁寧な記述がありました。



 ちょうどこの箇所の前の部分です。



 ここをよく読んで見ると、こうありました。




”禰津の手の者小保方半左衛門、其の年二十九、血気盛りの若武者、茂手木を目がけて突っかかれば・・・”



 状況を整理しますね。場面は、真田丸で言えば、沼田城に陣取っているおっちゃんこと、矢澤頼綱さんをまず思い出してください。


 この人は、真田昌幸の叔父さんです。



 で、沼田城を攻めてきたのが、由良信濃守や猪俣邦憲なわけですが、彼らは北条氏側だと思ってください。

(ついでに言えば、話に出てきた茂手木とは、茂手木弾正忠のことだと最初のほうに書いてあります)


 一方、禰津というのは禰津幸直のことで、こちらは真田(矢澤)側です。


 加沢記を全体を通して読んでいるとわかるのですが、



 真田一族

 矢澤のおっちゃん

 出浦さま(はあと)

 禰津さま



 ぐらいの立ち位置です。大河には出てくるかよくわかりませんが。 






 そもそも、信濃には滋野氏という名族がいて、その一族が3つに分かれて「海野・望月・禰津」の3氏が滋野三氏と呼ばれています。



 真田一族は、公式には、滋野嫡流とされた「海野氏」に系図をつなげていますが、実際には、禰津の氏族だった可能性が高く、なるほどこの話に禰津氏が登場するのも頷けます。


 小保方さんは、禰津氏の家臣だったようですね!




 しかし、信濃小県の狭いエリアの根津氏を想定すると、そこに群馬の小保方氏族がいるというのはちょっとハテナです。


 なので、根津氏支流あるいは遠縁の小保方氏がいそうだなあ、と思うのですが、まだそこまで調べ切れていません。




 ということで、このお話は研究を続けてみようと思います!!



 今日はここまで(^^




 追記:よく考えたら、沼田城って群馬だった!!!てへぺろ。


 ということは、小保方一族のほうが、沼田の地元の氏族ってことか!


 信濃からきた禰津氏の支配下に入ったって感じですね。



 じゃあ、やっぱり小保方さんのご先祖一族ってことなの?!



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